青木の出京その15
作品:青木の出京
作者:菊池寛
彼は生涯に、この時の青木の顔に似た顔をただ一つだけ記憶している。それは、彼が、脚気を患って品川の佐々木という病院に通っていた頃のことであった。彼はある日、多くの患者と一緒に控室に待ち合わしていると、四十ばかりのでっぷりと肥った男に連れられてやって来た十八ばかりの女がいた。雄吉はその男女の組合せが変なので、最初から好奇心を持っていた。すると、そこへ医員らしい男が現れた。その医員はその四十男と、かねてからの知合いであったと見え、その男に「どうしたのです。どこか悪いのですか」と、きいた。すると、その男はまるきり事務の話をするように、ちょっと連れの女を振り返りながら、「いやこれが娼妓《しょうぎ》になりますので、健康診断を願いたいのです」と、いった。それはその男にとっては、幾度もいいなれた言葉かも知れなかった。が、娼妓になるための健康診断を受けることを、多くの患者や医員や看護婦たちの前で披露されたその女――おそらく処女らしい――その女の顔はどんな暴慢な心を持った人間でも、二度と正視することに堪えないほどのものであった。
底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:林めぐみ
1999年1月6日公開
2005年10月17日修正
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